違法性の意識とは、自己の行為に違法性があることを認識していることをいいます。
犯罪の成立に、違法性の意識が必要か否かについて争いがあります。
厳格故意説という見解は、犯罪の故意があるというには違法性の意識が必要であると主張します。
*故意の解説はこちら
例① XはYをナイフで刺して殺したが、この行為は何らかの理由で適法なものだと思っていた。
Xは、殺人罪の結果を発生させており、また、その犯罪事実の認識もあります。ただ自分が行っている行為が違法でないと思っているだけです。この場合、厳格故意説に立つと、Xの故意は否定されます。しかし、この結論は妥当とは言えないでしょう。
そこで、犯罪の成立に違法性の意識は不要だが、違法性の意識の可能性は必要とする見解が現れます。
制限故意説は、違法性の意識の可能性が欠ける場合には、故意が認められないとします。
他方、責任説(通説)は、違法性の意識の可能性が欠ける場合には、責任が欠けるとします。
両説とも、犯罪の成立に違法性の意識までは要しないとする点では一致しています。違いは、違法性の意識の可能性を故意の一要素として位置付けるか、あるいは、責任要素として位置付けるかといった点にあります。
制限故意説の立場だと、例①ではXに自己の行為が違法だという事を認識することが不可能であった場合には、故意が阻却されることになります。他方、責任説に立った場合、故意ではなく責任が阻却されることになります。
*違法性の錯誤についての判例の解説はこちら