チザム対ジョージア州事件:Chisholm v. Georgia(1793)

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1793年、日本では江戸幕府が日本を統治していました。しかし、アメリカは1776年にイギリスから独立して着実に国家を整備していき、1787年には国民主権を黙示的に採用したアメリカ合衆国憲法が採択されました(大日本帝国憲法は1889年、日本国憲法は1946年)。厳格な三権分立の基、司法を担うのはアメリカ合衆国最高裁判所(Supreme Court of the United States)です(州との関係性に注意、後に補足)。チザム対ジョージア州事件は、アメリカ合衆国最高裁判所が出した初めての憲法判例とされています。

 

1.事案の概要 

ジョージア州は、アメリカ独立戦争期にサウスカロライナ州の商人であるRobert Farquhar (後に死去)から物資を獲得しましたが、ジョージア州は約束した支払いをしませんでした。そこで、Farquhar の遺言執行人(遺言に書かれた内容を実現する者)であるAlexander Chisholmは、当時フィラデルフィアにあったアメリカ合衆国最高裁判所に訴えを提起しました。なお、被告であるジョージア州は、アメリカ合衆国憲法において州は主権を有するので、同意なしに連邦裁判所で裁判を受けることはないとして、出廷を拒みました。 

 

当時のアメリカ合衆国憲法には以下の規定がありました。 

 

Article.Ⅲ. 

Section.2. 

Clause.1: The judicial Power shall extend to all Cases… to Controversies between two or more States;――between a State and Citizens of another State;――between Citizens of different States… 

(日本語訳)

第3章【司法部】  

第2条【連邦裁判所の管轄事項】 

[第1項] 合衆国の司法権はつぎの諸事件に及ぶ。~2 以上の州の間の争訟。州と他州の市民との間の争訟。異なる州の市民間の争訟~

 

2.判旨 

論点は、ある州の市民が、連邦の裁判所に、異なる州を被告とする訴えを提起することができるか否かです。最高裁判所は4対1で原告有利の判決を下しました(当時は、法廷意見というものがなく裁判官それぞれが個別に意見を書いていました。)。 

 

3.補足 

この判決は、ある州の市民は、他の州を連邦裁判所に訴えることが可能と判旨しました。しかし、この判決は評判が悪く、判決が出た後の1795年、憲法が以下のように改正されました(アメリカ憲法の改正は、原文を削除するのではなく、新たにAmendmentの条文を追加して行います)。 

 

Article.Ⅺ. 

The Judicial power of the United States shall not be construed to extend to any suit in law or equity, commenced or prosecuted against one of the United States by Citizens of another State, or by Citizens or Subjects of any Foreign State. 

(日本語訳)

修正第11条 【州に対する訴訟と連邦司法権】[1795 年成立] 

合衆国の司法権は、合衆国の一州に対して、他州の市民または外国の市民もしくは臣民が提起したコモン・ロー上またはエクイティ上のいかなる訴訟にも及ぶものと解釈されてはならない。 

 

これにより、ある州の市民が、他の州を連邦裁判所に訴えることが原則として不可能になりました。他方、ある州が、他の州や他の市民を訴えることは、この修正で否定されていません。 

 

なお、ここまでの記載から分かるように、日本と比べて、アメリカは州の権限が非常に強く、各州に司法権が認められています。すなわち、日本は国のみが裁判所を有し、都道府県は独自の裁判所をもたないのですが、アメリカは州独自の裁判所があります。そのため、アメリカでは事件によっては連邦裁判所に管轄権がないといったこともありうるのです。 

 

日本国憲法では以下のようになっています。

 

・日本国憲法76条1項 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。 

 

 

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