犯罪が成立するには、罪を犯す意思、つまり故意が必要です(刑38条1項)。
・刑法38条1項 「罪を犯す意思がない行為は、罰しない。ただし、法律に特別の規定がある場合は、この限りでない。」
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もっとも、実際に発生した事実と行為者の認識が食い違うことがあります。これを事実の錯誤といいます。そのうち、同じ構成要件内における錯誤を具体的事実の錯誤といいます。
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例① XはYを殺そうと目の前のYらしき人を刺したが、これはZだった(このように、認識した対象の法益を侵害したが、実は狙った対象ではなかった場合を客体の錯誤といいます。目の前の人を狙って、目の前の人の法益を侵害したが、その人の性質について錯誤がある場合)。
この場合、Xが殺したのはYではなくZでした。しかし、Xの認識通り殺人罪の結果を発生させています。そのため、これは具体的事実の錯誤の事例です。
具体的事実の錯誤があった場合に、行為者に故意が認められるかが問題となります。本件では、発生した事実に故意が認められない場合、Xに過失犯が成立するにとどまることになります(例ではZに対する過失致死罪)。
最高裁は、認識した事実と発生した事実とが、構成要件的評価として一致する限度で、発生した事実についても故意を認めます(最判昭和53年7月28日刑集32巻5号1068頁。法定的符合説。後述する方法の錯誤の事例)。
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判例の立場だと、例でXは、殺人罪の構成要件に定められている「人」を殺そうとして、現に「人」を殺しているため、XにはZ殺害の故意が認められることになります。
他方、学説では、認識した事実と発生した事実とが、具体的に一致した場合に、発生した事実について故意を認める見解が主張されています(具体的符合説)。
この説に立った場合、例でXは、「その人」を殺そうとして「その人」を殺していることになるから、認識した事実と発生した事実とが具体的に一致しているため、XにはZ殺害の故意が認められることになります。
例② XはYを殺そうとYにけん銃の弾丸を発射したが、狙いが外れて隣にいたZにあたり、Zは死亡した(このように、認識した対象ではなく、認識していない対象の法益を侵害した場合を、方法の錯誤(打撃の錯誤)といいます。目の前の人を狙ったが、目の前の人ではなく他の人の法益を侵害した場合)
結論が分かれるのが、この方法の錯誤の場合です。
法定的符合説に立った場合、Xは「人」を殺そうとして「人」を殺しているわけですから、たとえ実行行為時に、Zの存在を認識していなかったとしても、XにZ殺害の故意が認められます。
他方、具体的符合説に立った場合、Xは「その人」を殺そうとしましたが、「その人」ではなく他の人を殺してしまっています。そうすると、認識した事実と発生した事実とが具体的に一致していないため、Z殺害の故意が認められないことになります(Xの罪責は、Yに対する殺人未遂、Zに対する過失致死)。
このように、法定的符合説に立った場合、客体の錯誤、方法の錯誤の場合共に故意が認められます。これに対し、具体的符合説に立った場合、方法の錯誤の場合には故意が認められないことになります。