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[解説] 即位の礼・大嘗祭参列の合憲性①(政教分離の原則):最高裁平成14年7月11日第一小法廷判決 

Last Updated on 2022年3月15日

Point 

1.政教分離原則は信教の自由を間接的に保障するための制度的保障である  

2.政教分離原則は、宗教とのかかわりあいをもたらす行為の目的及び効果に鑑みて、その関わり合いが日本の社会的・文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超える場合にはこれを許さないとするものと解釈するべきである  

3.2を超えるか否かについて、行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるか否かを判断するという基準(目的効果基準)を用い、本件は憲法上の政教分離原則に違反しない、とした。 

1.事案の概要 

1989年、天皇の死去に伴って、新しい天皇が即位しました。その際、3回の皇室行事と国事行為(即位の礼等)が行われました。当時鹿児島県の知事であったYは皇室行事である大嘗祭に参列し、そのために県が旅費を支出しました。そこで、住民であるXらはこれが違憲であるとして、地方自治法242条の2第1項4号に基づき、県に代位して損害賠償を求める住民訴訟を提起しました

 

2.判旨と解説 

※以下は判旨と解説になりますが、まず黒枠内で判決についてまとめたものを記載し、後の「」でその部分の判決文を原文のまま記載しています。解説だけで十分理解できますが、法律の勉強のためには原文のまま理解することも大切ですので、一度原文にも目を通してみることをお勧めします。

 
まず、最高裁は、現行憲法が政教分離規定を設けるに至った経緯を説明しています。旧憲法下では国家と神道が密接に結びついていたために多くの弊害を生じていました。
 
 
そこで、新憲法では新たに信教の自由を無条件に保障することとし、更にその保障を一層確実なものとするために政教分離規定を設けた、とします。  

 

「憲法は,明治維新以降,国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ,新たに信教の自由を無条件に保障することとし,更にその保障を一層確実なものとするため,20条1項後段,3項,89条において,いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(以下「政教分離規定」という。)を設けた。」  

 
しかし、政教分離規定は信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教を分離させることで間接的に信教の自由を保障するものである、としています。
 
 
また、政教分離原則は、国家が宗教と完全に関わらないとするものではなく、宗教とのかかわりあいをもたらす行為の目的及び効果に鑑みて、その関わり合いが日本の社会的・文化的諸条件に照らして相当とされる限度を超える場合にはこれを許さないとするものと解釈するべきである、と述べます。  

 

「政教分離規定は,いわゆる制度的保障の規定であって,信教の自由そのものを直接保障するものではなく,国家と宗教との分離を制度として保障することにより,間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして,憲法の政教分離規定の基礎となり,その解釈の指導原理となる政教分離原則は,国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが,国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく,宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果 にかんがみ,そのかかわり合いが,我が国の社会的,文化的諸条件に照らし,信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるも のと認められる場合にこれを許さないとするものであると解すべきである。」  

 
そうすると、宗教的活動(憲法20条3項)とは、国家と宗教のかかわり合いが相当とされる限度を超えるものに限られ、その行為の目的が宗教的意義をもち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきである、とします。
 
 
そして、ある行為が上記の宗教的活動に当たるかどうかは、外形的側面だけでなく、当該行為を行う意図や目的、当該行為の一般人に与える効果・影響等諸般の事情を考慮して、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない、とします。  

 

「このような政教分離原則の意義に照らすと,憲法20条3項にいう宗教的活動とは,およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく,そのかかわり合いが上記にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって,当該行為の目的が宗教的意義を持ち,その効果が宗教に対する援助,助長,促進又は圧迫,干渉等になるような行為をいうものと解すべきである。そして,ある行為が上記にいう宗教的活動に該当するかどうかを検討するに当たっては,当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく,当該行為の行われる場所,当該行為に対する一般人の宗教的評価,当該行為者が当該行為を行うについての意図,目的及び宗教的意識の有無,程度,当該行為の一般人に与える効果,影響等,諸般の事情を考慮し,社会通念に従って,客観的に判断しなければならない(最高裁昭和46年(行ツ)第69号同52年7月13日大法廷判決・民 集31巻4号533頁,最高裁平成4年(行ツ)第156号同9年4月2日大法廷 判決・民集51巻4号1673頁等)。 」  

②はこちら

 

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